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『袴田事件にみる”集団心理”の邪悪〜俯瞰シリーズ』

 

 

9月26日の静岡地裁の袴田事件の再審判決は、捜査機関による証拠捏造(ねつぞう)を断罪し、袴田巌さん(88)に無罪を言い渡しました。

 

実に事件発生から58年経過しています。事件発生が私がまだ生まれていない昭和の時期でした。

 

この袴田事件は、これまで常態化してきた検察・警察・法務省の犯罪(冤罪)を暴く重要な裁判でした。

 

情報化が進んだ現代において、その闇の一部が開示されようとしています。

 

 

この事件のあらましをまとめた記事をまず転載いたします。

 

 

(転載開始)

 

1966年(昭和41年)6月30日、静岡県の民家でみそ製造会社の専務ら一家四人が殺害された強盗殺人・放火事件です。

 

 

警察は同じみそ製造会社に勤めていた袴田巌さんを逮捕しました。警察は一日平均12時間以上の取調べを連日続けました。この取調べは合計216時間に及んだといわれています。

 

 

この時の捜査資料には、「袴田の取調べは情理だけでは自供に追い込むことは困難であるから取調官は確固たる信念を持って、犯人は袴田以外にはない、犯人は袴田に絶対間違いないということを強く袴田に印象づけることにつとめる」という取調べ方針が書かれていました。

 

 

このようにして、20日目の取調べで袴田さんは自白をしてしまいます。

 

公判において、被告人は無罪を主張しましたが、事件から1年以上経ってからある重要な証拠が発見されます。被害者の血液型と一致する血痕が付着していた「5点の衣類」が被害者のみそ製造会社のみそタンクから発見されたのです。検察官は、袴田さんがこれを犯行時に着用していたと主張しました。

 

 

弁護人らは見つかった「5点の衣類」は袴田さんのものではないと主張しました。「5点の衣類」の一つに緑色のブリーフがあったのですが、袴田さんは緑色のブリーフを一枚だけ持っていて、それはお母さんのところに保管されていたため、「5点の衣類」は袴田さん以外のブリーフとしか考えられなかったからです。

 

 

しかし、第一審はお母さんの証言を信用せず、この「5点の衣類」を最大の有罪の証拠として、有罪判決(死刑) を宣告しました。

 

 

控訴審では実際に「5点の衣類」を袴田さんに着用させる実験が行われたところ、ズボンが小さすぎて着ることができませんでした。ところが、控訴審は袴田さんが太ったからズボンを着ることができなくなったのだとして死刑判決を維持しました。

 

 

最終的に、最高裁判所も有罪の死刑判決を維持しました。

 

 

最高裁まで、裁判所が有罪判決を維持し続けたのは、袴田さんが無実だった場合に、この「5点の衣類」という証拠が出来すぎていて説明がつかなかったからだと思われます。

 

 

例えば、捜査機関がこの「5点の衣類」を捏造しようとすれば、袴田さんが着ていたものと同じ衣類を用意して、被害者らと血液型を用意して、それをみそ会社の従業員に知られないようにみそタンクの中に隠し、偶然それらが発見されるという、かなり難易度の高い捏造をしなければならなくなります。

 

 

そのため、当時、この「5点の衣類」は有罪の決定的な証拠とされていました。

 

 

しかし、再審請求審においてこの「5点の衣類」がやはり捏造されたものだったのではないかという疑いが再浮上します。

 

 

そもそも、袴田さんが逮捕されて1年以上経ってから「5点の衣類」が発見されたということは、袴田さんが犯人であれば1年以上みそ漬けにされていたということになります。

 

 

しかし、写真を見て分かる通り、シャツは色が白く、血痕は赤みを帯びています。

 

これは、「5点の衣類」が1年以上みそ漬けにされていないのではないか、すなわち、発見から近い時点で袴田さん以外の何者かがみそタンクに「5点の衣類」を入れたのではないか、ということを示唆しています。

 

 

そこで、弁護団は何度もみそ漬け実験を繰り返しました。

 

 

その結果、やはり1年以上みそ漬けした場合、シャツは真っ黒になり、血痕も赤みがなくなることが分かりました。

 

 

以上のような弁護団の立証に対して、再審請求を受けた静岡地裁は次のように判断し、再審開始決定を下します(静岡地決平成26年3月27日、決定文中の「A」は袴田さんのことを指します)。

 

 

「5点の衣類が発見された際の,衣類の色合いや,血痕の色は,各味噌漬け実験の結果,1年以上味噌に漬かっていたとするには不自然で,かえって極く短時間でも,発見された当時と同じ状況になる可能性が明らかになった。端的に言えば,確定判決のうちAが本件の犯人であるとする最も有力な証拠が,Aの着用していたものでもなく,犯行に供された着衣でもなく,事件から相当期間経過した後,味噌漬けにされた可能性があるということである。この事実の意味するところは,極めて重い。5点の衣類は,発見された段階から,本事件に関係する証拠として扱われてきたが,発見された場所,証拠物の点数,形状,血痕の存在等から,それは至極当然であった。このような証拠が,事件と関係なく事後に作成されたとすれば,証拠が後日ねつ造されたと考えるのが最も合理的であり,現実的には他に考えようがない。そして,このような証拠をねつ造する必要と能力を有するのは,おそらく捜査機関(警察)をおいて外にないと思われる。警察は,Aを逮捕した後,連日,深夜にまで及ぶ長期間にわたる取調べを行って自白を獲得しており(G2・確6冊2301丁以下),その捜査手法は,Aを有罪と認定した確定判決すら,「適正手続の保障という見地からも,厳しく批判され,反省されなければならない」と評価するほどである(確定判決11丁以下)。そこには,人権を顧みることなく,Aを犯人として厳しく追及する姿勢が顕著であるから,5点の衣類のねつ造が行われたとしても,特段不自然とはいえない。公判においてAが否認に転じたことを受けて,新たに証拠を作り上げたとしても,全く想像できないことではなく,もはや可能性としては否定できないものといえる。この後の総合判断の際にも,この可能性を考慮して検討することが求められるのは当然である。」

そのうえで、静岡地裁は「本件が4名の尊い命を奪うなどした極めて,重大な事案であり,Aに対して死刑判決が確定していることを考慮しても,Aに対する拘置をこれ以上継続することは,耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない。一刻も早くAの身柄を解放すべきである。」として、死刑の執行だけでなく拘置をも停止させ、袴田さんを釈放させました。

 

 

 

その後、東京高裁はこの静岡地裁決定を破棄しますが、最高裁が東京高裁の決定を再び破棄して差し戻しました。

 

 

そして、差戻後の東京高裁決定も、捜査機関によるねつ造の可能性を示唆したうえで再審開始としました(NewsPicks, 2023/10/27)。

 

 

(転載終了)

 

 

 

当時の捜査員や裁判官の告白などもあり、袴田さんの冤罪が燎原の火のごとく拡がっていきました。死刑判決を言い渡した裁判官の告白に関する記事を以下に転載いたします。

 

 

(転載開始)

「本当に長かった。早く(袴田さんに)無罪が出れば、安心できるのにね」

 

 

6月初旬、福岡県古賀市のカトリック教会で、島内和子さん(82)は遺影に語りかけ、手を合わせた。遺影に写る男性は、2020年11月に83歳で死去した元裁判官の熊本典道さん。袴田さんの1審・静岡地裁で合議の裁判官として、1968年に死刑判決を出した人物だ。

 

 

2人が出会ったのは、2006年冬だった。島内さんが働いていたパン店に軽食を買いに来た熊本さんに、「何をされているの」と聞くと、「弁護士事務所を開きたい」と答えた。冗談で「お茶くみでも雇ってください」と言い、「いいよ」と熊本さんが応じた。交流が始まり、約1か月後、熊本さんから電話で告白され、パートナーとして、人生を歩み始めた。

 

 

出会いから半年後、2度目の「告白」を受けた。島内さん宅で酒を飲んでいると、熊本さんが「袴田事件」について語り始めた。「間違いなく袴田君は無罪だ。うそを言っているかどうかは、目を見ればわかる」。涙がこぼれていた。

 

 

当初、その言葉の重さが分からなかったという島内さん。事件について調べて「大変なことを抱えている」と理解した。

 

 

 

07年、熊本さんが「無罪の心証だったが、裁判官を説得できず、2対1の多数決で死刑判決を出してしまった」と公の場で告白し、衝撃を与えた。裁判官は、裁判所法で、判決に至る経過や意見、多数決の数などを漏らしてはならないと定められている。

 

 

「評議の秘密」を破った発言に注目が集まった。熊本さんは、袴田さんを支援する集会などに参加し始め、島内さんも付き添った。面会は実現しなかったが袴田さんのいる拘置所を訪れたほか、東京高裁などでの活動にも同行。熊本さんがパーキンソン病で体が不自由になってからは、車いすを押した。「袴田君の人生に迷惑をかけた。死にたい」とこぼす熊本さんに「なんとか協力してあげたかった」との思いだった。

 

 

18年に袴田さんと病床の熊本さんの面会が実現した。だが、互いに十分なコミュニケーションをとることができない状態だった。熊本さんは、「巌、巌」と声を振り絞るのが精いっぱい。待ち望んだ再審無罪をみることなく、熊本さんは、20年11月に死去した。

 

 

14年に静岡地裁で再審開始決定を出した元裁判官の村山浩昭弁護士は、「『評議の秘密』を守れなければ、非難を受けることはわかっていたはず。人生をかけた判断だったのでは」と語る。

 

 

熊本さんらが書いた1審の確定判決には、「付言」がある。「極めて長時間に 亘 わた り被告人を取調べ、物的証拠に関する捜査を怠った」――。

 

 

3月の東京高裁の再審開始決定は、捜査機関による「 捏造 ねつぞう 」の可能性を指摘した。島内さんは、墓前に「あなたの思いがかないましたよ。もう少しだけ頑張りましょうね」と伝えたという。再審公判が迫る中、「一日でも早く無罪が出てほしい。そうなれば、熊本は泣いて喜ぶでしょうね。泣き虫だから」と話した(『袴田さんに判決を出した元裁判官から告白された女性、半年後に2度目の告白「間違いなく無罪だ」』読売新聞オンライン、2023/06/15)。

 

(転載終了)

 

 

私自身がこの事件の後に生まれたこともあり、この事件を知り得たことは、あくまで公開されている内容に基づいたものです。

 

 

しかし、それだけでも、警察が証拠を捏造した可能性を完全に否定できないことが分かります。

 

 

ある人を有罪にするには、検察の「立証責任」が問われます。

 

 

袴田事件では、その立証もできないことが明確になっています。

 

 

立証できない限りは、いくら疑わしくても罰することができません。

 

 

 

この事件の本質は、当初の杜撰な捜査のために犯人が分からない状況で、袴田さんをターゲットにして点数を稼ごうとした警察・検察の常態化した「集団心理」だと考えています。

 

 

和歌山のカレー事件のときもそうでしたが、警察・検察の杜撰な捜査や捏造によって、かなりの人々が冤罪で死刑になっています。

 

 

昨日から羽賀研二さんが3回目の逮捕ということで話題になっていますが、これも和歌山のカレー事件の林眞須美さんと同様、彼なら誰も文句を言わない(マスコミが叩いてくれる)という主観で犯罪者扱いして痛めつけようという警察の動機が透けて見えます。

 

 

 

羽賀研二さんは、最近出所して、警察・検察の闇を動画などで語っていたからです。

 

 

 

この警察組織にまつわる問題は、実は「集団主義」に還元されるものです。

 

 

 

人々には集団主義への衝動がありますが、最も大きな「悪」はいつも集団から来ます。人々は集団になると、個人の判断では絶対同意しないことでも、ただ従って何でも同意するようになります(官僚組織やフリーメイソンなどがその典型例)。

 

 

 

最後に袴田事件に関して、記事の最後に掲載されていたコメントを掲載します。

 

 

 

(コメント転載)

袴田事件は事件発生から58年が経過している。

えん罪の被害者にかくも長期にわたる闘いと忍耐を強いる日本の司法制度は異常であり、再審法改正と、刑事司法全般の検証は急務だ。

自白偏重や「捏造」証拠にこだわったまま、真犯人も取り逃がされたままだ。

この期に及んで、検察がさらに控訴するなど到底許されない。

静岡地裁の2014年3月の再審開始決定が検察官控訴されてから既に10年が経過している。

 

検察の時間稼ぎでこれ以上不正義を長引かせることは到底看過し難い。

袴田さんが生きているうちに一刻も早く、再審無罪を確定させ、国として正式に、袴田さんに対する人権侵害の償いと謝罪をすべきだ。

 

検察・警察・法務省は、袴田氏をこれ以上追い詰めることではなく、徹底した誤判の原因究明と検証を自ら行って説明責任を果たし、科学的で人権保障と真実発見を全うできる制度改革を進めることにこそ精力を傾けるべきだ(伊藤和子、弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長)。

 

(コメント転載終了)

 

 

私個人的には、袴田さんの人生を潰した当局の犯罪に強い憤りを感じています。

 

 

 

この集団心理は、実は歴史的に古来からいたるところに存在して真実を伝える個人を殺傷してきました。そして、その集団心理による巨悪は、現在も健在であるという事実から目を逸らしてほしくない思いで一杯です。

 

 

 

 

 

 

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