『種痘(smallpox)はワクチンで撲滅されたのか?』

「ワクチンが功を奏したのは、種痘だけだ」という意見をよく耳にします。

これは本当でしょうか?

種痘(smallpox)は、3,000年前の古代エジプトやインドですでに見られていた疫病です(Hist Med. 1995;2:E17)(Med Hist. 2004 Apr; 48(2):199-228)(Bull World Health Organ. 1998;76(Suppl 2):22–5)。

1980年にWHOが世界で根絶したと言う宣言がなされ、現在では見かけることはありません。

症状は、極めて他のウイルス疾患と呼ばれるものと酷似しています。

発熱、悪寒、頭痛で始まり、程なくして皮疹が出ます。この皮疹は、膿疹となって瘡蓋(かさぶた)へと変化していきます。

そして、全身の出血傾向がでる状態になると、致死率は高くなります(30%の致死率と言われている)(Clin Med Res. 2003 Apr;1(2):87-92)。

この出血熱(hemorrhagic fever)を呈する重症型は、エボラ、コンゴ、マーブルグ、ラッサ熱、リフトバレーなどの今回の新型コロナウイルスと近い遺伝子配列を持ったものにも特徴的です(その他、蚊が媒介すると言われている黄熱病、デング熱なども出血熱を呈する)。

さて、この種痘に対するワクチンを開発したのは、エドワード・ジュンナー(Edward Jenner)だと私たちは教えられてきました。

彼は、実際に牛の種痘の膿疹で作ったワクチンでひと財産築きました。

ちなみにワクチン(vaccine)という言葉は、ラテン語で牛を意味する“vacca”が由来です。ジェンナーは、牛の種痘の膿疹をワクチンウイルス(vaccine virus)と呼びました。

実際は種痘のワクチンのアイデアは、ジェンナーの発見の20年前にイギリスの農夫が牛の種痘の膿疹で作ったワクチンの成功例でした(Med Hist. 2004 Apr; 48(2):199-228)。さらには、遡ること10世紀には、中国で他人の種痘の膿疹を鼻から注入すると言う治療法が行われていました(Int J Infect Dis 1998;3:54-60)。

つまり、ジェンナーのワクチンという考え方は、昔から行われていた予防法を商業的に行っただけだったのです。

1853年には、彼の種痘ワクチンをイギリスで強制的に3ヶ月未満の乳児に接種させる法案が通りました。これに従わない場合は、罰則として罰金か刑務所送りとなりましたが、激しい市民の抵抗運動にあいました(BMJ 2002; 325)。

このジェンナーのワクチンがなぜ当時のイギリスで激しい抵抗にあったのでしょうか?

まず、ジェンナーが主張したウイルスという存在を示すエビデンスが全くなかったことが挙げられます。牛の種痘の膿疹には、無数のバクテリアや毒性物質も入っているため、ジェンナーが主張する様な純粋なウイルスが原因だとはとても言えたものではありません。

また、当時の接種法は、今では考えられないものでした。最初に上腕の接種部分の皮膚(上皮)をメスで切り取ります。そして、尖った象牙でグリグリしてワクチンを注入していたのです。おかげで、接種部位には激しい炎症と疼痛が引き起こされました。

 

そして、種痘ワクチンの副作用です。

発熱、頭痛、悪寒、接種部位の炎症、筋肉痛、リンパ節腫大、発疹などのいわゆるワクチン関連症候群(vaccine-related symptoms)の他、脳炎などで死に至るケースがあったからです(N Engl J Med 2002;346:1265-1274)(J Infect Dis 1970;122:303-309)。

ワクチン関連の副作用(主作用(^_−)−☆)が出やすいのは、やはり、すでにアトピーや自己免疫疾患を持っている、いわゆる“免疫抑制”状態にある人でした。

さて、一般健康常識で言われている様に、本当に種痘はワクチンで撲滅したのでしょうか?

1904年には、ブラジルにおいても、市民の激しい政府への暴動(riot)が起こっています。

これは、当時の政府が種痘に対して、ワクチンの強制接種を法律化したことに対する激しい暴動だったのです(Journal of Social History,1904, 20(2), 301–322)。

この頃のブラジルでは、結核、ライ病、種痘、黄熱病、ペストなどの感染症が大流行していました。

著しい水質汚染、下水の不備、ゴミの堆積、過密な住居など“免疫抑制”状態を作る過酷な環境が揃っていたのです。

1902年に当時の大統領の命令で、リオのインフラの改善に取り組みました。

同時に感染を媒介する蚊やネズミの撲滅にも取り込みました。

そのおかげで種痘ワクチンを導入する前には、感染症による死亡が激減し、1906年には種痘よる死亡はゼほぼロになっていました(Medical History, 2009, 53: 229–252)。

ところが、種痘ワクチン反対運動がほとんどなかった1908年、1914年、1926年には、また種痘がアウトブレイクしています。

この様に種痘とワクチンの歴史を振り返っても、ワクチンが感染症による死亡を激減させたのではなく、インフラの改善こそが感染症の命運を握っていたことが分かるのです(^_−)−☆。

関連記事

  1. 「まずい給食の本当の原因は?」

  2. 『塩水の効用』

  3. 『新型コロナ経口薬「モルヌピラビル(molnupiravir)」の臨床…

  4. 『リウマチは糖尿病やガンと同じ“代謝”病』

  5. 『5-11歳の子供への遺伝子ワクチン:1人救うのに117人の命が失われ…

  6. 『もっともシンプルで美しい自然の原理』

  7. 『白米をたべるアジア人は劣っているのか?』

  8. 『運動をする前に朝食をとった方がよいのか?』