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『DV男の袖にすがる共依存女性』

『DV男の袖にすがる共依存女性』

 

訪米した高市早苗氏とドナルド・トランプ(Donald Trump)氏のやり取りを見て、強い違和感を覚えた人は少なくなかったはずです。なぜなら、そこに映っていたのは、対等な同盟国の首脳同士の関係というよりも、相手の機嫌を損ねないよう先回りして身を寄せ、媚びへつらって承認を得ようとする側と、その承認を与えるかどうかを握る側という、あまりにも非対称な構図だったからです。

 

 

 

IWJ(岩上氏が主催する、日本に残っている数少ない良識報道ジャーナル)の記事にあるとおり、その光景は「DV男の袖にすがる共依存女性」という図像を思い出させるに十分でした。関係が対等であれば、敬意はあっても過剰なへりくだりは要りません。しかし力の差が大きい場では、弱い側はしばしば、政策ではなく空気を読み、論理ではなく相手の感情管理に入っていきます。その瞬間、外交は交渉ではなく「見捨てられないためのふるまい」に変質し始めます。

 

 

その象徴が、ホワイトハウス到着時の抱擁でした。共同通信系の報道では、高市早苗氏は、出迎えて握手を求めたトランプ氏の胸に飛び込んでハグを交わしたとされています(おいおい・・・・)。この場面が話題になったのは、それが単なる儀礼以上の意味を帯びて見えたからです。

 

 

 

対等な関係のハグは、相互性の身体表現です。しかし、力関係が大きく傾いた場での過剰な接近は、ときに「私は敵ではありません」「どうかこちらを受け入れてください」という、非言語の懇願のなります。火の粉が飛びそうな相手に先に笑顔で抱きついて、爆発を防ごうとする。そうした振る舞いは、DV的支配の比喩で言えば、相手の不機嫌を回避するために、こちらから先に安心材料を差し出してしまう動きに近いです。外からは愛嬌に見えても、内側では恐怖と不安が動機になっています。

 

 

 

さらに決定的だったのは、高市早苗氏がトランプ氏をファーストネームで呼び、「世界中に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけだ」と持ち上げた点です。この一言は、外交辞令の範囲を超えていました。相手への評価を述べるというより、相手の自己像をなぞり、相手が最も気持ちよくなれる言葉を差し出し、自分の立場を確保しようとする響きがあったからです。

 

 

しかも同じ報道では、公開された会談冒頭約30分の間、トランプ氏が高市氏を「サナエ」と呼ぶことはなかったとされています。ここには、片方だけが距離を縮め、片方だけが呼称を下げ、片方だけが相手を持ち上げているという露骨な非対称があります。まるで、片方は「あなたなしでは世界は動かない」と捧げ、もう片方はその熱量を当然のものとして受け取る構図です。袖にすがる側は必死でも、袖をつかまれている側は少しも同じ熱量を返さない。この温度差こそが、支配関係の本質をよく表しています。

 

 

 

DV的関係が恐ろしいのは、暴力そのものよりも、相手の機嫌、承認、まれに与えられるやさしさが、生存条件のように感じられてしまう点です。

 

 

暴力を受けた女性が相手のもとを離れるか残るかは、意志の強弱ではなく、経済的不安、感情的な結びつき、支援の不足などが複雑に絡み合うことが示されています[1]。また、DVを単発の暴力としてではなく、自由や自律を削り取る「強圧的支配」として捉えるべきであることが指摘されています [2]。つまり、人は殴られているから離れられないのではなく、離れた後に待つ不利益や孤立や報復を想像させられ、判断そのものを相手に支配されていくのです。

 

 

 

政治でも同じですが、今回の訪米に関しては、日本というよりは、自分のことで精一杯だったのでしょう。国益そっちのけで、トランプの自分への承認をどう繋ぎ止めるかだけに心を奪われていただけに見えます。

 

 

人間とは面白いもので、「こんな相手に依存しているはずがない」という自己像を守るため、人は相手の横暴を過小評価し、自分の従属を美化し、服従を戦略だと言い換えてしまうことまでやります。これを「認知的不協和」と呼びます。親密な暴力関係において、相手を愛したい気持ちと相手が自分を傷つけている現実との矛盾が、認知的不協和として関係維持に働く可能性が論じられています[3]。

 

 

 

迎合は「信頼関係の構築」と呼ばれ、過剰な賛辞は「現実的対応」と呼ばれ、自主性の後退は「同盟管理」と呼ばれます。しかし、言い換えで本質は変わりません。苦い薬に砂糖をまぶしても、その中身はやはり苦いままです。高市早苗氏の「ドナルドだけが」という発言が不快感を呼んだのは、それが単に大げさだったからではなく、従属を自発性の言葉で飾ってみせたからです。

 

 

 

しかも、この会談ではトランプ氏が真珠湾攻撃に言及し、高市氏が visibly uneasy に見えたとBBCは伝えています。報道によれば、トランプ氏は「不意打ちのことは、日本が一番よく知っているだろう? どうして日本は真珠湾のことを私に知らせなかったんだ」と発言し、隣に座っていた高市氏は目を見開き、深呼吸をしているように見えたとされます。

 

 

 

ここにあるのは、対等な友好国への敬意より、場の主導権を握る側が相手を軽く試し、冗談めかして刺し、なお相手が笑って受け止めるかを見定めるような空気です。DV的な関係では、相手は露骨な暴力だけでなく、冗談、皮肉、からかい、歴史の持ち出し方によっても優位性を確認します。殴る代わりに、相手の尊厳を細かく削るのです。そうした場で弱い側がなお抱きつき、なお持ち上げ、なお「ドナルドだけが」と唱えるなら、その姿はますます「相手の袖を離したくても離せない側」に見えてしまいます。

 

 

 

支配的関係の中では、人はやがて「何を言うべきか」よりも「何を言えば怒らせないか」を考えるようになります。必要なのはこの心理を正当化することではなく、そこから離脱する条件を整えることです。国家にとってそれは、相手の承認にすがらなくてもよいだけの戦略的自律性であり、個人にとっては、抱擁や露骨な賛辞で関係をつなぐのではなく、敬意と距離を両立させる成熟です。

 

 

 

外交が恋愛劇に堕ちた瞬間、国益はしばしば感情の人質になります。だからこそ、あの抱擁も、「ドナルドだけが」も、単なる話題の一幕として流してはならないのです。あれは、戦後の日本政治がいまなお「袖を離されたくない側」の身ぶりから自由になれていないという未成熟ぶりを、あまりにも鮮明に映した一場面だったのです。

 

 

なぜ戦後の日本が未成熟のままに抑圧されているのかを私たちはもっと根本から考える必要があります。

 

 

 

参考文献

[1] Leave or stay? Battered women’s decision after intimate partner violence. Journal of Interpersonal Violence 2008;23(10):1465-1482. https://europepmc.org/article/med/18309037

[2] Coercive Control: Update and Review. Violence Against Women 2019;25(1):81-104. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30803427/

[3] The importance of cognitive dissonance in understanding and treating victims of intimate partner violence. Journal of Aggression, Maltreatment & Trauma 2017;26(5):475-492. https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/10926771.2017.1314989

[4] The Trauma and Mental Health Impacts of Coercive Control: A Systematic Review and Meta-Analysis. Trauma Violence Abuse 2024;25(1):630-647. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/37052388/

 

 

 

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