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  『無料のATMの終焉―日本の金利上昇政策』

『無料のATMの終焉―日本の金利上昇政策』

二〇二四年七月三十一日、日本銀行は政策金利を〇・二五パーセントに引き上げると発表しました(1)。この決定は、住宅ローン金利の上昇を通じて多くの日本国民の家計に直接的な影響を与え、不動産価格の下落圧力となり(2)、日銀のバランスシートの健全性にも影響を及ぼす重大な転換点となりました(3)。

 

そして、この利上げは、米国ウォール街で長年続いてきた「円キャリートレード」という巨大な金融取引の終焉を告げる号砲でもありました。

円安を止めるために、日銀が自発的に金利をあげたのではありません。日銀は独立した組織ではありません(4)。二〇二五年一月と十二月にも続けて利上げが実施されましたが、これは単なる金融政策の調整ではなく、米国政府の強い要求に応じた措置でした(5)。

 

では、なぜ今になって米国は日本に利上げを求めたのでしょうか。そこには、米国の経済戦略の大きな転換がありました。

 

二十四年間続いた「円キャリートレード」とは何か

「円キャリートレード」とは、金利がほぼゼロに近い日本円を借りて、それをドルなどの高金利通貨に交換し、米国債や株式などに投資して利益を得る手法です(6)。日本の金利が〇パーセント、米国の金利が四パーセントであれば、単純計算でその差額の四パーセントがほぼ自動的に利益となります。為替変動リスクはありますが、日本が超低金利を維持し続ける限り、円高方向への大きな変動は起こりにくいと考えられてきました(7)。

 

この取引の規模は膨大で、推定で三・四兆ドルに達していたとされています(8)。これは日本の国内総生産(GDP)に匹敵する規模です。ロンドンのシティや米国のウォール街の寄生虫たちの懐を肥やすために、日本は二十四年以上にわたって超低金利政策を続けてきました。国内のデフレ対策という表向きの理由がありましたが、それは嘘です(9)。

 

この仕組みを理解するには、日米間の金利差が重要です。一九九八年以降、日本は事実上のゼロ金利政策を続けてきました(10)。一方、米国は二〇〇〇年代から金利を調整し、リーマンショック後の量的緩和を経て、近年では四パーセント台まで金利を引き上げていました。この金利差こそが、円キャリートレードの原動力でした。

 

なぜ二十四年間も超低金利が続いたのか

日本が超低金利を二十四年以上も続けてきた理由について、評論家の副島隆彦氏は、「米国の強制によるもの」と主張しています(11)。氏によれば、四パーセント台の金利差があることで、日本から米国へ資金が自動的に流れ、ニューヨークのヘッジファンドが自動的に儲ける仕組みが構築されていたというのです。

 

実際、日銀は二〇〇六年にゼロ金利を解除しようとしましたが、米国からの圧力を受けて政策を撤回した経緯があります(12)。このことは、日本の金融政策が必ずしも独立して決定されているわけではないことを示唆しています。

 

トランプ政権と米国の経済戦略転換

二〇二五年八月、米国のスコット・ベッセント財務長官は、日銀に対して利上げを促す異例の発言を行いました(13)。この発言の背景には、トランプ政権が掲げる「製造業の国内回帰」政策がありました(14)。

 

米国は長年、製造業を海外に移転し、金融業を中心とした経済構造を築いてきました。しかし、この戦略は国内の製造業基盤を弱体化させ、貿易赤字を拡大させました。トランプ政権は、この流れを逆転させ、製造業を米国に戻すことを目指しています(15)。

 

製造業を国内に戻すには、米国製品の価格競争力を高める必要があります。そのためには、ドル安が不可欠です(16)。ドル高が続けば、米国製品は海外市場で高価になり、輸出競争力を失います。逆に、ドル安になれば、米国製品は相対的に安くなり、輸出が促進され、国内製造業が活性化します。

 

もっと言うと、軍事やAIの最先端技術に必須の半導体産生に関して、ライバル中国に遅れをとっていることに焦りを感じたからです(17)。半導体製造の国内回帰は、米国の経済安全保障と技術覇権の維持に不可欠な要素となっています。

 

金融資本 vs 実体経済:利益相反の構図

ここで重要なのは、円キャリートレードによる金融利益と、製造業回帰による実体経済の利益が、相反する関係にあるということです。

 

円キャリートレードは、ウォール街のヘッジファンドや投資銀行にとって、安定した収益源でした(18)。日本の超低金利と米国の高金利という構造が維持される限り、彼らは確実に利益を上げることができました。しかし、この仕組みは円安・ドル高を促進し、米国の製造業にとってはマイナスに働きます。

 

トランプ政権は、金融資本の利益よりも、実体経済、特に製造業の復活を優先する政策を選択しました(19)。そのため、日本に利上げを要求し、円安・ドル高の構造を是正しようとしたのです。ベッセント財務長官の発言は、この政策転換を明確に示すものでした。

 

二〇二四年八月五日の株式大暴落

日銀が二〇二四年七月三十一日に利上げを発表した直後、八月五日には世界的な株式市場の大暴落が発生しました(20)。日経平均株価は前営業日比マイナス四千四百五十一円、マイナス一二・四パーセントという過去最大の下げ幅を記録しました。

 

この暴落の主な原因は、円キャリートレードの急速な巻き戻し(unwinding)でした(21)。日銀の利上げにより、円が急騰し、円を借りて海外に投資していた投資家たちは、為替損失を避けるために急いでポジションを解消しました。つまり、海外資産を売却し、その資金を円に戻す動きが一斉に起こったのです(22)。

 


この巻き戻しは、推定で三・四兆ドル規模の資金移動を引き起こし、世界の金融市場に大きな混乱をもたらしました。株式市場だけでなく、債券市場や為替市場にも連鎖的な影響が及びました。

 

積極財政という言葉の嘘

日本国内では、「積極財政」という言葉がしばしば経済政策の正当化に使われてきました。しかし、その実態は、米国金融資本の利益を維持するための超低金利政策の継続に過ぎませんでした(23)。MMT(現代貨幣理論)などの理論を持ち出して財政拡大を正当化する議論もありますが、それらはインフレリスクや財政規律の問題を軽視しています(24)。

真の積極財政とは、国民の生活と産業基盤を強化するための投資であるべきです。しかし、日本の超低金利政策は、国内経済よりも海外投資家の利益を優先する政策となっていました。

 

新たな時代の始まり

日銀の利上げと円キャリートレードの崩壊は、戦後続いてきた日米間の経済関係の大きな転換点を示しています。米国は金融資本主義から実体経済重視へと舵を切り、日本もまた、真の意味での経済主権を取り戻す機会を得たと言えるかもしれません。

しかし、この転換は決して平坦な道ではありません。住宅ローン金利の上昇、不動産価格の調整、日銀バランスシートの課題など、多くの困難が待ち受けています。それでも、この変化正常化の過程です。

世の中の騒音に惑わされず、常に根本的な原理原則に立ち返って物事を判断してください。この混乱の時代こそ、皆さんの知性と忍耐が試される最高の舞台となるはずです。

 

参考文献
(1) 日本銀行「金融政策決定会合の結果」2024年7月31日 https://www.boj.or.jp/about/press/koen_2024/
(2) 8-SHIRO「金利上昇での不動産価格への影響は?売買をする際のポイントも解説」2025年1月5日 https://www.8shiro.jp/sell-column/preparation/1192/
(3) ピクテ投信投資顧問「日本の財政から投資の必要性が見えてくる⑥ ~日本銀行のバランスシートのリスク」2024年8月8日 https://www.pictet.co.jp/…/japanese…/20240808.html
(4) 東京財団政策研究所「財務省依存の日銀に独立性はない」2017年9月28日 https://diamond.jp/articles/-/143810
(5) 国際通貨研究所「ベッセント米財務長官によるFRB利下げ・日銀利上げ要求発言」2025年9月5日 https://www.iima.or.jp/docs/column/2025/ei2025.19.pdf
(6) Wikipedia「円キャリー取引」https://ja.wikipedia.org/wiki/円キャリー取引
(7) Nishigaki, H. “Relationship between the yen carry trade and the related financial variables.” Economics Bulletin, 2007.
( みずほ銀行「『円安バブル』報道について①~05-07年との比較分析~」2024年8月8日 https://www.mizuhobank.co.jp/…/market…/econ240808.pdf
(9) 副島隆彦の学問道場「重たい掲示板」https://snsi.jp/bbs/page-1/
(10) 一橋大学 伊藤隆敏「Great inflation and central bank independence in Japan」NBER Working Paper, 2010.
(11) 副島隆彦の学問道場「8月5日の株式の大暴落と岸田首相がやめる」https://snsi.jp/bbs/page-1/
(12) 副島隆彦の学問道場「重たい掲示板 – ページ 119」https://snsi.jp/bbs/page-1/page/119/
(13) 国際通貨研究所「ベッセント米財務長官によるFRB利下げ・日銀利上げ要求発言」2025年9月5日 https://www.iima.or.jp/docs/column/2025/ei2025.19.pdf
(14) ロイター「トランプ関税、製造業の米国回帰が主な目的=財務長官」2025年2月5日 https://jp.reuters.com/…/PU3X3FIC2JJTVKPUQ46WJT2QDE…/
(15) J-MONEY Online「『相互関税』と『ドル安政策』が招くドルの急落」2025年4月8日 https://j-money.jp/article/159194/
(16) 日本経済新聞「円安は『金融政策で自然と調整』 ベッセント米財務長官インタビュー」2025年8月11日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN08D7I0Y5A800C2000000/
(17) 日本経済新聞「米国のAI半導体『能力は中国の5倍、2年後17倍に』 米シンクタンク」2025年12月23日 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM2235X0S5A221C2000000/
(18) Moomoo「ついに、動き出しました!30年ぶりです。。」2025年12月19日 https://www.moomoo.com/ja/news/post/63076053
(19) Gur, N., & Dilek, S. “US–China economic rivalry and the reshoring of global supply chains.” The Chinese Journal of International Politics, 2023.
(20) 三菱UFJ投信「日経平均が過去最大の下げと上げ!金融経済教育」2024年8月8日 https://www.am.mufg.jp/report/investigate/column_240808.pdf
(21) ロイター「世界株安、米経済見通しよりキャリートレード巻き戻しの影響大」2024年8月6日 https://jp.reuters.com/…/B5BTQO7TYZKHHFXCQ7RQN3UIIU…/
(22) Hattori, M., & Shin, H.S. “Yen carry trade and the subprime crisis.” IMF Staff Papers, 2009.
(23) 東京財団政策研究所「財政を巡る『新しい見解』と『旧い見解』――MMTの問題点」2022年1月14日 https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=3892
(24) 日本証券経済研究所「『MMTは何が間違いなのか?』」https://www.jsri.or.jp/publish/research/pdf/114/114_07.pdf

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