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『真の学問(メタフィズィックス)と哲学の違い〜メタフィズィックス・シリーズ』

 

 

古代インドで発展した真の学問である「メタフィズィックス(metaphysics)」は、いわゆる哲学や宗教とはまったく異なるものです。

 

 

 

「メタフィズィックス(metaphysics)」は、日本語では形而上学と翻訳されています。これは、”現象として見える形”を超えた(形而上、meta- physics)真理を指し示すと意味です。

 

 

このメタフィズィックス(metaphysics)は、西洋社会において誤解されて伝わっています。

 

 

 

それは主にサンスクリットなどで書かれた奥義を英語などに翻訳する際に、メタフィズィックス(metaphysics)を学ぶ人ではなく、言語学者が行ったことが一つです。

 

 

 

サイエンスの翻訳でも、その分野を熟知している人ではなく、言語学者の翻訳によると、その本質やニュアンスが伝わりません。

 

 

 

それは、「言葉」いうのは、物事の本質を表現するには、その表面をかするくらいのごく限られたツールだからです。

 

 

 

よくメタフィズィックス(metaphysics)では、様々なシンボルが使われるのも、言葉で伝えられる限界を知っているからです。

 

 

 

そして、西洋では、特にキリスト教や神智学者(Theosophists)の間で、インドの古代教義に対する偏見があったために、今日まで誤って伝えられています。

 

 

 

この「メタフィズィックス(metaphysics)」が日本においても正しく伝わってこなかったのは、日本が現在イギリスと米国のがんじがらめの統治下にあるからです。

 

 

 

哲学者に代表されるように、西洋の学者たちは、感知できる現象と本質を区別できないという決定的な自然観察能力の低下(限界)によって、本当の知性がかなり低下しています。

 

 

 

たとえば、近代の哲学者は、対話を通して、ある概念(信念といっても良い)と反対する概念を「お互いに相容れないもの(mutually exclusive)」として分類します。

 

 

 

宗教においても、「異端(heresy)」などといった分派(セクト)が発生しています。

 

 

 

「これとそれ。」「あいつとそいつ。」など・・・・・・・

 

 

 

その一方で、「メタフィズィックス(metaphysics)」は、あらゆる概念は一つの真理から発生していることを説いています(一元論)。

 

 

様々な宗派や哲学上の解釈があるというのは、単に一つの真理をそれぞれに勝手に解釈しただけの“現象”に過ぎません。

 

 

 

その意味で「すべての道はローマに通じる」という言い方が適切になるでしょう。

 

 

哲学や宗教(それから派生しているサイエンスも)は、いわば閉じられたシステム(closed system)であり、「メタフィズィックス(metaphysics)」はシステムなどでは括れない真理といえます(^_−)−☆。

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