今回の新型コロナフェイクパンデミックは、ある意味隠されていたことが一気に噴出したことで、私にとっては人類の歴史を概観する良い機会となりました。
これだけ、明からさまで稚拙なマスコミの感染およびワクチンなどの偏向報道を見ても、すでに反応できる大衆がほとんどいないことも、彼らがプロット(グレート・リセット)を前面に出してきた大きな理由です。
ウエルネス・ラジオでもいつもお伝えしている内容ですが、大衆を十分コントロールするには、すでに宗教やスピはもはや必要ではなくなっています。
現代人がフェイクや不正に反応できなくなっているのは、もちろん糖のエネルギー代謝の著しい低下です。
大衆は、もはや不正や道徳に反することに反応すらせず、ひたすら権力者の言うとおりにしていると、いつか美味しい思いをすることができると信じています。
この思いが強い人間ほど、政治屋、官僚や経済界のトップになります。
このある種の“病的な忍耐”(すべての良識を排除して自分の利益だけを願う)は一体どこから来ているのでしょうか?
これはリアルサイエンスでは、ストレートに答えが出ています。
病的な忍耐(pathological patient)あるいは不感受性というのは、糖のエネルギー代謝の低下の産物であり、特にセロトニンというストレスホルモンの上昇によることが分かっています(Science Advances, 2020; 6 (48): eabc7246)。
小さいころから、進学塾で長時間椅子に座って受験勉強ができるのも、このセロトニンが上昇することで、『いつかは美味しいことがある』と誤った信念を抱くことで我慢できるのです。
小さい時に、受験勉強を諦めた子供ほど、本当は糖のエネルギー代謝にダメージを負わないで済むということです。
現代のシステムは、プーファやSSRIの投薬も含めて、すべてがこのセロトニン上昇を招くものなので、マルクスが言った“宗教はアヘン(opium for the people)”というのは古く、現代社会システムそのものがアヘンなのです。
日本人の明治以降の「お上のいうことを聞いていれば美味しいことがある」という病的な飼い慣らされ方も、このセロトニン(明治以降の圧政による)の上昇によるものです。
しかし、グレート・リセットされた社会では、この美味しい思いができるという大衆(各国の操り人材も)の淡い期待は完全に裏切られます(一部の血脈以外はパージです)。
ワクチンを接種したからといって、マスクもソーシャルディスタンシングも何も変わりません。
セロトニンによる他力本願の病的な期待は幻想に過ぎません。
生命体は、そのセロトニンの作用とは真逆の、自立して未来を切り開くという希望を持つことが可能なのです。
そのためには、やはり毎日の食事など(自分を毒さない)にいかに気を配るかにかかっています(^_−)−☆。